お一人様いらっしゃい
梅雨入りといえど今日はまるで夏の天気です。
少子高齢化、人生百年時代、好むと好まないによらず「お一人様」が増える時代です。
そこで、お一人様が良いところと困るところを考えてみましょう。
良い点
1.他人と関わるわずらわしさがない。
2.自分のために使える時間が多い。
3.自分中心で考えればよく、物事の計画が立てやすい。
困る点
1.自分だけの考えにおちいりやすく、独善的になりやすい。
2.何かやるときに他人の協力を求めにくい。
3.老後に自分の世話をしてくれる人が不明確。
今後ますますお一人様が増える時代。
今現在お一人様で困っている人が抱える
- 現在の問題
- 将来に不安と思われること
将来お一人様になる可能性がある人が抱える
- 将来不安と思われること
- 自分の周囲でお一人様が抱えている問題点
これらを広く集めて皆で
課題解決の場
を作ろうと思います。
つきましては、みんなが抱えているお困りごとをみんなで共有しませんか?
よろしければお一人様アンケートにアクセスし、あなたの心配事をご記入ください。
皆様の回答結果は、後日ブログで発表いたします。
皆で解決する場を作りたいと思います。
八芳園創業者に私達は何を学ぶのか
令和4年11月末、
長谷敏司翁顕彰碑の改修工事のご用命を承りました。
私はいつも「仕事を請け負う時」
1 何故その仕事がきたのか
2 発注者の思いはどうなのか
3 私は何のためにその仕事をするのか
をまず考えます。
しかし今回は、顕彰碑ということもあり、
長谷敏司翁の考えに想いを馳せるところから始めました。
佐治町出身の敏司翁は、東京での八芳園の創業、地元企業への出資・経営参画といった事業だけでなく、佐治村、県立高校等に多額の寄付をされ尽力された方。
その思いは、ご遺族に引き継がれ、今日の事業を発展させておられます。
また、奨学会の設立につなげ、若者の育成にも力を入れられています。その根幹にあるのは「人と未来」に対する無限の可能性への想い、と確信しました。
工事の年である令和5年は各事業の周年記念が重なる年です。顕彰石碑改修工事は、敏司翁の
想いを再発見する大仕事。つまり改修ではなく「再生」である。こう認識すると心が引き締まる思いがしました。
まずは石碑と対峙。
見えてきたのは多くの課題でした。
石碑と文字のバランス。
幅約1.7×高さ約2.5mという存在感のある石碑とそこに掘られた東大寺別当揮ごう文字。
両者を、どちらも負けない、そして、相互に引き立たせるための工夫が必要でした。
さらに、建立後46年の経年劣化。
正直に言うと、やりがいはもちろんのこと、同時にプレッシャーもあったと言わざるを得ません。
しかし、振り返ると名誉ある石碑再生に携われた事に感謝しかありません。
変色や石材中央部への表面汚れの浸透、石板の傾きやコケ、さらには顕彰説明文銅板についた黒錆対応などでした。
汚れを落とすことや傾きの修正は、苦労したものの、これまで培った技術でなんとか解決できました。
今回とりわけ注力したのは、この工事で顕彰石碑の価値をさらに高めることでした。
単に石碑の汚れを落とすのではなく、周囲の景観と同調しながらも存在感やメッセージ性を出すこと。
そのために5種類の薬品を試行錯誤しながら、汚れを取りつつ見た目の凹凸感を出すことでした。
太陽の動きとともに変化する石碑表面の影が動的な印象を与えることができるからです。
文字の彫りは土台の石碑との明度をはっきりさせることで石碑の大きさに負けないよう引き立たせ、仕上げに落款印に朱色を入れることで全体をキリッと見せました。
最終的には、里山を背景により力強く再生した顕彰石碑に敏司翁も喜んで下さっているのでは、と自負しております。
敏司翁の石碑を、それぞれの人が自分自身として何を思い、どう学ぶのか。
一度この名実ともに巨大な石碑と「対峙」してみてください。
今後、佐治のこの顕彰石碑が「人々に新しい可能性、未来への希望を抱かせる」聖地となり人々の「聖地巡礼」が行われる日々が来ることに夢を託します。
あなたはお墓派それとも永代供養派~お墓のプロが解決策を教えます
人口減少、高齢化、少子化が顕著化してる現代。
お墓を建てるか永代供養かとても悩ましい問題です。
お墓は、自分を育ててくれた両親、祖父母への感謝の場です。
一方永代供養は祀ってくれる人がいないとか
お墓が遠過ぎることや
高齢化して維持管理が難しい人などに代わって
お寺とか霊園が祀ることです。
この様に「お墓」か「永代供養」のどちらか
二者択一を「求めよう」としたり
「求められてる」かに感じます
がほんとにそうでしょうか。
本来「祀る」とは「感謝の気持ち」と
「維持管理の行動」が一緒になってるものです。
これを「お墓か永代供養か」二者択一で
どちらかを選べと言うのは無理難題です。
だから自然と悩ましい問題となるのです。
「祀る立場の人がいる限り」その人が祀るべきです。
それが本来のあるべき姿です。
現にお寺様のなかには祀る人がいる限り
「永代供養は受けられない寺」もあります。
二者択一に対す打開策を考えるべきです。
打開策として
①家単位でなく、
「兄弟別々の墓を一つにまとめて兄弟で祀る」
②弊社提案の「自宅に置ける小さなお墓:遷墓」
③「嫁ぎ先と実家」を祀る「両家墓」
具体的内容を知りたい人遠慮なくお申し付けください。
自分達で「祀る」ための知恵をだし一生懸命祀る。
それができなくなった時初めて「永代供養」とする。
これが家族、兄弟のためにもなり、
孫の情操教育に繋がります。
亡くなった人も含め、有意義な人生になると思います。